令和5年7月5日、長崎県埋蔵文化財センター(以下、埋文)に事前指導を行って頂き、7月24日~31日の期間、今年も未調査遺跡の発掘調査を行いました。調査初日には宮司さんから神事を執り行って頂き、東アジア歴史・中国語コースの1年と歴史学専攻生、中国語専攻生の一部が調査に参加しました。今年は埋文の事業と絡めて、元寇関連史跡の調査の一部を行いました。壱岐の中でも比較的新しい新城神社は1回目の蒙古襲来の文永の役でモンゴル帝国軍と奮戦した平景隆が最後に自害したとされる樋詰城跡とされています。これまで言い伝えはのこされているものの、発掘調査を行ったことはありませんでした。2010年刊行「長崎県中近世城館跡分布調査報告書2」には道路側は削平されており、不明。道路と逆は空堀があるというところまで明らかにされています。今回の発掘調査では、調査区の深さが1m以上にも及びましたが、道路側にも堀が巡っているということが明らかになりました。2時間程度の発掘体験とは違い、準備から片付けまで発掘調査の一連の活動をできるのが本校の魅力ある活動の1つです。