年 度 | 出 来 事 |
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昭和23年 | 戦後の学制改革により,長崎県立佐世保第1中学校,同第2中学校,同高等女学校,佐世保成徳高等女学校,同東和中学校の5校が新制の高等学校に名を改め,同年12月,この5校を統合して,長崎県立佐世保北高等学校,同南高等学校の,まったく新しい2校の設立準備が整う。 |
昭和24年 | 2月1日旧佐世保市立成徳女子高等学校(現在地)を第1校舎に,旧長崎県立佐世保第2中学校校舎(現,干尽海上自衛隊)を第2校舎(福石校舎と呼ぶ)として長崎県立佐世保北高等学校発足。 4月1日旧佐世保市立成徳女子高等学校第2部が本校の定時制として併設される。生徒定員,全日制1,200名,定時制250名 |
昭和26年 | 6月5日八幡校舎に木造2階建10教室を新築し,福石校舎を廃止。 |
昭和35年 | 6月30日体育館新築 |
昭和38年 | 7月15日本館に9教室,1部地階を増築(現在のC棟) |
昭和40年 | 2月5日全日制生徒定員1,800名となる。(昭和43年度まで) 6月30日プールおよび附属建物新築 |
昭和46年 | 2月5日生徒更衣室兼体育職員室新築,北和寮新築 |
昭和47年 | 2月3日佐世保市内の全日制普通科を置く3高等学校(県立佐世保北・南・西高等学校)の,昭和47年度以降の入学者選抜が総合選抜制となる。 |
昭和52年 | 4月1日定時制第1学年募集停止 |
昭和53年 | 4月1日定通統廃合により,定時制第3・4学年生徒91名,本校在籍のまま長崎県立佐世保中央高等学校への教場移動 |
昭和54年 | 12月24日校舎改築のため梅田校舎(旧県立佐世保商業高等学校校舎跡)に移転 |
昭和55年 | 3月31日定時制課程廃止となる。 |
昭和57年 | 3月25日校舎改築工事竣工により,八幡新校舎へ移転 |
昭和57年 | 9月30日ハンドボールコート兼生徒集会場(中庭)整備工事竣工 |
昭和58年 | 10月14日運動場整備工事竣工 |
昭和61年 | 2月17日新体育館竣工 |
平成元年 | 3月31日テニスコート,弓道場竣工(梅田) |
平成2年 | 2月20日ハンドボールコート兼生徒集会場(中庭)改装工事竣工 |
平成3年 | 3月31日梅田校舎運動場およびハンドボールコート整備工事竣工 |
平成7年 | 4月1日生徒定員1,209名となる。英語コース,理数コース各1クラスが設けられる。 |
平成8年 | 3月29日北斗館(武道場)新築 5月1日梅田校舎敷地長崎県立佐世保中央高等学校へ移管 |
平成9年 | 1月31日運動場整備工事竣工 |
平成10年 | 1月1日長崎県立佐世保中央高校跡地 長崎県立佐世保北高等学校へ移管 1月31日創立50周年記念開幕式典 3月31日校門及び塀改修工事竣工 10月17日創立50周年記念式典 |
平成11年 | 2月25日東門改修工事竣工 3月25日万徳グランド屋外便所・シャワー室等新築工事 3月26日図書館・セミナーハウス(北和寮)改修工事竣工
万徳グラウンド・テニスコート整備工事竣工
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平成12年 | 4月1日生徒定員1,040名となる。英語コースを人文総合コース,理数コースを理数総合コースに名称を変更 |
平成13年 | 3月23日万徳体育館改修工事 4月1日生徒定員1,000名となる。 |
平成14年 | 4月1日教頭2人制となる。 4月1日生徒定員960名となる。 4月1日校内に中高一貫事務局,校内研究委員会を設置 |
平成15年 | 4月1日生徒定員920名となる。この年入学者選抜の総合選抜制度廃止。 4月1日校内に県立中学校開設準備室を設置 8月1日県立佐世保北中学校の設置 10月15日校舎改築のためC棟解体 |
平成16年 | 4月1日高校定員880名,中学校定員120名となる。 4月8日県立佐世保北中学校の開校式,第1回入学式を挙行 |
平成19年 | 3月22日長崎県立佐世保北中学校「第1回卒業証書授与式」を挙行 3月23日万徳グランドテニスコート増設及びクレーコート改修工事竣工 4月1日高校定員720名 |
平成20年 | 1月30日創立60周年開幕式典を挙行 3月25日新体育館竣工 11月24日創立 60周年記念式典を挙行 |
平成24年 | 1月6日ハンドボールコート及び万徳グランドオムニコート改修工事竣工 |
平成25年 | 11月12日県立佐世保北中学校創立10周年記念式典を挙行 |
平成26年 | 3月31日八幡グランド全面改修工事竣工 |
平成27年 | 4月1日高校副校長・教頭2人制となる |
平成30年 | 1月30日創立70周年開幕式典を挙行 |